人の集合体、それが企業

近年、企業の社会的責任は当たり前とさえされている。
大きな企業であればあるほど、社会的に与える影響は大きい。
それが少しでもよい影響になるべく、関係者は一人ひとり高い倫理観を持つ必要がある。

以前、私が百貨店に礼服を買いに出かけた。
当時は相場がいくらくらいなのかも分からなかったため、店員さんについてもらって選んだ。

しかし、私の予想していた予算より遥かに高かったこともあり、安い商品を自然に手に取っていた。
その時、会話の中で言われた言葉は忘れられない。
要約すれば、親の顔が見てみたいと言われたのだ。

これはとても高い倫理観を持って働いている人の言葉ではない。
もしかしたらこの店員さんは、社員ではなく、アルバイトであったかもしれない。

しかし、関係者である以上、誇りと責任を持って仕事に取り組むべきだろう。
その点がとても残念な買い物になった。

この経験をして以来、私は高い倫理観、社是の意味を忘れたくないと強く思うようになった。
反面教師であり、私の心は多少傷ついたが、それ以上に得た物もあった。

企業は人の集まりだ。
誰か一人だけでも倫理観を無視するような行動があれば、それが全体のようにすら感じられてしまう。
恐ろしいものだ。

しかし、終身雇用の崩壊に伴うリストラの横行で、社員と言えども安住出来る環境ではない企業が増えてきた。
つまりは、与えられた事だけをやっている社員はお払い箱になるのだ。

社内ニート

社内ニート、いわゆる窓際族の本人による話を聞くと、なんだか哀しいような面白いような。
いろんな会社があるなぁと思う。
最近では社内ニートと表現することも多いようだが、とにかく社内にいても仕事がない状態だという。

忙しすぎて終電時間まで仕事をしなければならないブラックな会社がある一方で、仕事がないのに給料をもらえるサラリーマンもいる、変な世の中だ。
社内ニートを生み出してしまう会社は新卒を採らなければいいのにと思う。

そして常に人材不足な会社は新卒を採ったとしても教える余裕がないから採らないらしいが、それはそれで問題だと思う。
忙しいサラリーマンからすると、デスクにいるだけで給料がもらえていいじゃないかと思うが、社内ニートは10分時間が進むのを1時間くらいに感じてしまうほど、時間軸と自分の存在が分からなくなるそうだ。

コピーや資料を作る、会議室の準備だけで仕事が終わり、それでも同じ部署の人よりもさっさと早く帰るのも気まずいし、ダラダラとデスクにいても更に残業代までもらおうとしているのか思われそうでコワイそうだ。
社内ニートがいるくらいの会社は、業績が安定しているのだろうか。

それとも、無駄な経費に気がつかない体質の会社なのだろうか。
営業などは、仕事は自分で見つけるものだとしても、経理や総務などにいて仕事がないと本人もさぞや辛かろうと思う。
やりがいがある職に転職といっても、なかなか決まらなかったり、たとえ社内ニートであろうと待遇が良いから離れられないなど理由があると思う。

しかし、このままやりがいが全く無いまま働き続けるとは思えない。
デスクでぼーっとするだけではなくて、今後のために資格などの勉強を始めてみるのもいいのではないかとおもいます。

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